戦国武将「50通の手紙」 、その2は、
武田信玄が、天文二十二年三月、村上義清に
最後のとどめを刺すべくその本拠・葛尾城を攻め落としたとき、
敵の兵士達が残していった兵糧を
甲州軍が奪い取った時に
家臣を論していった言葉である。
「晴信が(信玄)が弓やは、欲のためにあらず、
只、国の民を安楽ならしめんがためなりと云うことを、
一度信濃の民共に知らせなば、
重ねて国の民共、
早く晴信が此の国へ戦を取り掛けて、
非道の守護を誅りゃくし、
正路の沙汰を致せかし、
日々夜々に思ふらん」と。
これを聞いた家臣達は、はっと気が付いたことだろう。
何のための戦いだったのかと。
これで、家臣達を結束させ、国を守ろうと云う気持ちを
起こさせ、適地の農民からは信頼されることとなった。
私の知人に、甲州の人がいるが、
合ったことのない信玄にありがたく思っていることを
口にする人がいる。
これは正に人心をつかまえた信玄の強さでしょう。
親子代々聞き伝えて今にまで。
これに比べ、今の世の中は、目先のことに頼りすぎ、
何のためにやっているかを見失って、
大きな目的を果たすことを忘れてはいないだろうか?
しかも、人を欺き、だまし富を得ようとして。
ビジネスでも、政治でも・・・・。
清く正しく。
武田信玄が、天文二十二年三月、村上義清に
最後のとどめを刺すべくその本拠・葛尾城を攻め落としたとき、
敵の兵士達が残していった兵糧を
甲州軍が奪い取った時に
家臣を論していった言葉である。
「晴信が(信玄)が弓やは、欲のためにあらず、
只、国の民を安楽ならしめんがためなりと云うことを、
一度信濃の民共に知らせなば、
重ねて国の民共、
早く晴信が此の国へ戦を取り掛けて、
非道の守護を誅りゃくし、
正路の沙汰を致せかし、
日々夜々に思ふらん」と。
これを聞いた家臣達は、はっと気が付いたことだろう。
何のための戦いだったのかと。
これで、家臣達を結束させ、国を守ろうと云う気持ちを
起こさせ、適地の農民からは信頼されることとなった。
私の知人に、甲州の人がいるが、
合ったことのない信玄にありがたく思っていることを
口にする人がいる。
これは正に人心をつかまえた信玄の強さでしょう。
親子代々聞き伝えて今にまで。
これに比べ、今の世の中は、目先のことに頼りすぎ、
何のためにやっているかを見失って、
大きな目的を果たすことを忘れてはいないだろうか?
しかも、人を欺き、だまし富を得ようとして。
ビジネスでも、政治でも・・・・。
清く正しく。





